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【開催報告】朝食読書会『応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱』(呉座 勇一) |名古屋で朝活!!朝活@NGO

 

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

 

  今朝は、若手の日本史研究者による話題の新書『応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱』(呉座 勇一) が課題でした。

成功例の少ない「応仁の乱」で18万部。日本史研究に新たなスター誕生か

日本史上の大トピックとされていながらも、全体像を捉え難い「応仁の乱」。そんな題材を、既成史観の図式に頼ることなく、絶妙なバランス感覚で丁寧に整理した新書がヒットしている。NHK大河ドラマの歴代最低視聴率記録を長年保持していた『花の乱』(1994年)を始め、「応仁の乱」を扱ったものに成功例は少ないので、異例の現象だ。

-アマゾンより

  興福寺の二人の僧の視点を交え、日記を始め膨大な参考文献をもとに、複雑に入り組んだ「応仁の乱」の全貌に迫る一冊です。

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管理人の読書メモ

P.74 これまで見てきたように、足利義政は討伐命令を出したかと思えば赦免し、あまつさえ家督をすげ替える、といった行為を繰り返した。義政が決定を二転三転させることが政治・社会の混乱を生んでいることは疑いなく、尋尊も「大乗院寺社雑事記」の中でしばしば批判している。

 

P.86 勝った方を支持するという義政の態度は無定見の極みであるが、これまでの畠山氏内訌においても、義政は基本的に優勢な側の味方であった。おかしな言い方だが、情勢次第で方針を転換するという点では一貫しているのである。

 

P.137 階級闘争史観とは、下の階級の者が上の階級の者に対して闘争を起こし、打倒することで歴史は進歩する、という歴史観のことである。(中略)下剋上を嘆く尋尊は、武士や民衆の成長といった現実を受け入れられずに愚痴をこぼすだけの無力な荘園領主の象徴にされてしまったのだ。

 

P.145 応仁の乱が始まる前、京都で生活する摂関家の人々と奈良興福寺の僧侶たちが一緒に連歌を行う機会は滅多になかっただろう。応仁の乱が期せずして生み出した文化交流は、双方に刺激を与えたと思われる。

 

P.161 応仁の乱が勃発した要因は複数あるが、直接の引き金になったのは畠山氏の家督争いである。(中略)そして畠山氏の家督争いがこじれにこじれたのは、義政の無定見だけが原因ではない。弥三郎・政長兄弟を一貫して支援し、義就に徹底的に抗戦した成身院光宣・筒井順永の存在が大きい。

 

P.198 かくして西幕府はなし崩し的に解散し、応仁の乱は形の上では終わった。(中略)11年にもわたる大乱は京都を焼け野原にしただけで、一人の勝者も生まなかった。

 

P.214 応仁の乱によって将軍の権威が失墜したことはよく知られている。尋尊は「応仁の乱が終わったと言っても、めでたいことなど何もない。今や将軍の命令に従う国など日本のどこにもないのだ」と記している。

 

P.286 応仁の乱は新時代を切り開いた「革命」になぞらえられることが多い。結果的にそのような意義を果たした面は否定できないが、それが変革を求める民衆運動ではなく支配階級の“自滅”によってもたらされたことに留意する必要がある。

感想など

 本書は、応仁の乱の前後を含めて、奈良・興福寺の経覚(けいがく)、尋尊(じんそん)の日記などの膨大な史料や先行研究をもとに、登場する人物の人間性やその関係、そして「人々の生活のあり方という具体的なレベルかた議論を展開」(はじめに)した一冊です。歴史ファンにとっても新しい視点も含めて発見の多い本かと思いますし、初めてこの時代に触れる方も、登場人物の多さに馴れた頃からは引き込まれる面白さのある本かと思います。

 売れた理由のひとつに自虐的な新聞広告のコピーがあって、「地味すぎる大乱」「スター不在」「ズルズル11年」「知名度バツグンなだけにかえって残念」など、ここまでマイナスイメージを重ねられると、ちょっと覗いてみたくなる心理を上手くついてるようで秀逸。

 「応仁の乱」について、まずは将軍・義政の資質がひどい。処罰したかと思えば赦免しを繰り返したり、国が傾きかけている時に連歌や猿楽などの催しが行われていたり、戦いを続けるために京都市内が荒廃の一途をたどることに何の策もうたれていなかったり、およそ政治家・リーダーとしての義政は評価するところが見当たらないくらい。

 それに加えて、 組織がまとまらない社会風土もあったようで、

P.227 中世武士は主君に絶対の忠誠を求められることはなく、主君が家臣を保護する義務を怠った場合、家臣が主君を見限っても何ら非難されなかった。

など、江戸時代の朱子学的な縛りがまだない時代、武士社会の不安定さも大乱にむすびついた要因かと思います。

 細川勝元を中心とした東軍と、山名宗全を中心とした西軍も、寝返るものや勝手に講和を結ぶもの、親の代の恨みを晴らそうとするものが入り乱れて、流動的で把握しづらい戦局が続きます。

 教科書では数行で説明される応仁の乱も、掘り下げていくと複雑な人間関係や不合理な判断、今とは違う社会構造が入り乱れていることがよく分かります。そうした一つひとつをときほぐす著者の知識の深さに圧倒されて、読み進むほどに惹きつけられる読書体験でした。