【開催報告・伏見】『忘れられた日本人』(宮本常一)|名古屋で朝活!!朝活@NGO
今月の伏見の朝食読書会は『忘れられた日本人』(宮本常一)が課題でした。今朝は4名でこじんまりと。
戦中から戦後にかけて、日本中を歩いてお年寄りに聞いた、それまでの半生の記録。当時の庶民の生活や風俗の記憶そのものをまとめた一冊です。宮本氏の村人への自然な入りこみ方も愛情を感じるし、何より登場するお年寄りたちがゆるゆると語るライフストーリーが面白すぎる!
この地域の取材も多くて、
「私は、愛知県の佐久島で、五寸クギを何十本と打ちこんだ木を見せてもらったことがある。そのクギが人の形にうたれていることによって誰かが誰かを呪って、藁人形にクギをうちつけたものに違いなかった」
「夜ばいもこの頃はうわさも聞かん。はァ、わしらの若い時はええ娘があるときいたらどこまでもいきましたのう。美濃の恵那郡の方まで行きましたで…」(愛知県北設楽郡での取材)
ほんの100年くらい前までは、地域差があるとは思いますが、男女の関係は今よりずっとおおらかで、ゆるかったんですね。
個人的には、村の人間関係の濃さと、村以外の人との関係の薄さが、生きやすさに繋がっていたような印象。
例えば、男女の関係がもつれてしまった時の解決策として、
「その解決へ導いた理由の一つは、広い世間が村の外にひとかっているということであった。村の中で解決のつかない時には村の外へ出してやることが一番いい解決法であった。」
とあります。村の外とのつながりの薄さが、人生のやり直しやすさだったのでは。
村の外へ出されたら、果たして暮らしていけるのか、と心配にもなりますが、旅に出たら出たで、各地に「善根宿(ぜんこんやど)」という誰でも泊めてくれるような民家はあったようで、そうしたセイフティーネット、助け合いも見られた社会だったんですね。
「昔は良かった」という単純なノスタルジーではないのですが、少なくとも「貧しい」「物がない」=「不幸せ」な時代というわけでもなさそうです。
参加者の方もおっしゃってた「常識を疑う」という意味でも、とても刺激的な一冊だと思いました。