【開催報告】『数学する身体』(森田真生) |名古屋で朝活!!朝活@NGO
今朝の朝食読書会は小林秀雄賞受賞作『数学する身体』(森田真生)が課題でした。文系4名、理系2名の参加者でしたが、「計算」ではない「数学」の世界は限りなく「哲学」に近づくもので、文系の管理人にとっても刺激的な読書体験でした。
管理人の読書メモ
P.30 教えることは、相手がはじめから持っているものを、自分自身で掴みとるように導くことだ。
P.110 チューリングの心を魅了したのは、いつも「解けるかどうかわからないパズル」であった。(中略)不安の中に、すなわち間違う可能性の中にこそ「心」があると、彼は誰よりも深く知り抜いていたからである。
P.131 普通に指を使って数えると、十までしか数えることができない。だから、「十」が数えるときの単位として定着した。無限にある数の中で、「十」が特別扱いされなければならない数学的な理由など、どこにもないのにである。
P.135 他の悲しみがわかるということは、他の悲しみの情に自分も染まることである。悲しくない自分が悲しい誰かの気持ちを推し量り、「理解」するのではない。本当に他の悲しみがわかるということは、自分もすっかり悲しくなることである。
P.170 自分がそのものになる。なりきっているときは「無心」である。ところがふと「有心」に還る。その瞬間、さっきまで自分がなりきっていたそのものが、よくわかる。
P.182 ただ、二人(アラン・チューリングと岡潔)の間には重要な共通点がある。それは両者がともに、数学を通して「心」の解明へと向かったことである。
感想など
高校までの数学体験しかない管理人にとっては、「計算」「図形」問題の「答え」を解くイメージでしたが、本書では「数」とは何か、「数学」とは何か、といった本質を問うものから、「人間」「心」、そして「世界」とは何かまで広がる面白さ。帯の言葉通りでした。
音楽や美術のように、数学も表現の行為だ。数学を通して「人間」に迫る、30歳、若き異能の躍動するデビュー作!
そもそも「数」「計算」と身体の関係を改めて考えてみることも新鮮だし、イギリスのチューリングと日本の岡潔という偉大な数学者が、ともに「心」「人間」「世界」を問い直す哲学に近づいて行った過程も読みごたえがあります。
森田氏は各地で「数学の演奏会」という講演活動を続けていて、今回読書会に参加いただいた方の中には何度も体験された方もいらっしゃいました。やっぱり理系のご出身、この1冊をご自身の言葉でA4用紙1枚にすっきりとまとめていらして、ご理解の深さをおすそ分け。ありがとうございます!
森田氏の話を直接聴きたい方、なんと11月6日に「数学の演奏会」が名古屋で開催されるとのことです。ご興味のある方はこちらのホームページをご参照ください。
森田真生公式ウェブサイト - Choreograph Life -
皆さんのおすすめ
藤が丘では参加者の皆さんからおすすめの本を紹介していただいています。