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【開催報告】『イスラーム文化−その根柢にあるもの』(井筒 俊彦)|名古屋で朝活!!朝活@NGO

 

イスラーム文化−その根柢にあるもの (岩波文庫)

イスラーム文化−その根柢にあるもの (岩波文庫)

 

  今朝の朝食読書会は『イスラーム文化』(井筒俊彦)が課題でした。

 「日本人にとってイスラームはいままで、いわばあかの他人でした。ところがそのイスラームが歴史的現実としてわれわれに急に近づいてまいりました」(「はじめに」より)

 近現代の中東については帝国主義や紛争、テロの歴史など報道でのイメージが思い浮かびます。そこに至るまでのイスラーム文化が、宗教の起源から知れて、入門書としては最適だと思います。

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管理人の読書メモ

P.25 仏陀が仏教の始祖、イエス・キリストキリスト教の始祖というのと同じ意味でイスラームの始祖ですが、この人(ムハンマド)は決していま申しましたような意味での砂漠的人間ではなかったのであります。彼は商人でした。メッカとメディナという当時のアラビアとしては第一級の国際的商業都市の商人であり、商人としての才知をいろいろな局面で縦横に発揮した人間であります。
 
P.28 要するに『コーラン』では、宗教も神を相手とする取引関係、商売なのです。
 
P.29 こうしてイスラームは最初から砂漠的人間、すなわち砂漠の遊牧民の世界観や、存在感覚の所産ではなくて、商売人の宗教――商業取引における契約の重要性をはっきり意識して、何よりも相互の信義、誠、絶対に嘘をつかない、約束したことは必ずこれを守って履行するということを、何にもまして重んじる商人の道議を反映した宗教だったのであります。
 
P.32 とにかく現在の時点で、イスラーム文化の現在を一瞥しただけでもアラブの代表するスンニー派イスラームと、イラン人の代表するシーア派イスラームとは、これが同じイスラームなのかと言いたくなるほど根本的に違っております。
 
P.40 生活の全部が宗教なのです。そしてこのことはすなわち人間成生活のいわゆる世俗的な部分まですっかり『コーラン』のテクスト解釈によっているということを意味します。
 
P.62 つまり神と人との人格関係は、あくまで主人と奴隷との関係なのであります。
 
P.62 人間が自分で主体的に努力して己の救済に至ろうとする、いわゆる自力的態度は、ここではまったく成立する余地はありません。
 
P.89 メッカ期の根本的特徴との連関において特に重要なのは、正義、いわゆる「神の義」という属性であります。イスラームの神は厳粛な、峻厳な正義の神。正義の神ですから、人間が少しでも正義の道にはずれたことをすれば、それを絶対に許さない。
 
P.105 メッカ期の怖れに対してメディナ期では感謝です。神の限りない慈悲慈愛に対して深い感謝の心を抱く。ここでは「感謝」がすなわち「信仰」の同義語であり、同時にまたこの時期を特徴づける人間の倫理性であります。
 
P.117 すなわち、イスラームは血縁意識に基づく部族的連帯性という社会構成の原理を、完全に破棄しまして、血縁の絆による連帯性の無効性を堂々と宣言し、その代りに唯一なる神への共通の信仰を、新しい社会構成の原理として打ち出しました。
 
P.128 要するにイスラーム共同体というのは、単にイスラーム教徒だけでできている共同体ではなくて、イスラーム教徒がいちばん上に立ち、その下に複数イスラーム以外の宗教共同体を含みながら、一つの統一体として機能する大きな「啓典の民」の多層的構造体なのであります。
 
P.136 (復活は)輪廻転生の場合のように、死んだ人の魂が幽冥界に生き続けていて、それが次々にまったく別の肉体に宿るのではなくて、死に絶えていたその人のその同じ肉体が復活の日に生前の形に戻って、それにその魂が再び統合されて生き返る、つまり元の人が元のまま生き返るというものですから、ましてや、復活の日までに、なんべんも行き返りを繰り返すなどということは絶対にあり得ないのです。また、それだからこそ、この世の生が重要にんなるのです。
 
P.160 少なくとも敬虔な信者である限り、人は法を意識することなしには、日常生活すら生きることができない。
 
P.200 それはイラン人(シーア派)が一般に本来、著しく幻想的であり、神話的であり、その存在感覚において、いわば体質的に超現実主義者、シュールレアリストであるということであります。その特質はイランの文学や美術によく表れておりますが、この点でイラン人は、感覚的で現実主義的なアラブと対照的です。

 感想など

 イスラム教では「アッラー」と呼んでいる「神」は、ユダヤ教キリスト教と同じ神のアラビア語。同一神を信仰するこの3つの宗教の起源から解説されているので、その関係が初めて理解できました。

 また「シーア派」「スンニ派」も、同じイスラーム教ではありながら全くといっていいほど違うものだということも、イスラム教の成り立ちとともに分かってきました。仏教も、厳しい修行を課す小乗仏教から比較的受け入れやすい大乗仏教まで変化していますが、イスラーム教も同様に「メッカ期」から「メディナ期」まで解釈が大きく変わっており、それが宗派の違いとなったとのこと。国と国との対立も、ここからきているのですね。

 わずか200ページ余りの本でしたが、これまであまり知らなかったジャンルなので、今回は読書メモがいつも以上に多くなってしまいました。読後は宗教以外の中東の歴史や文学、芸術関係の本もチェックしてみたくなります。