名古屋で朝活!! 朝活@NGO|朝食読書会・もくもく勉強の会

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【開催報告・名駅】朝食読書会『蜜蜂と遠雷』(恩田陸)|名古屋で朝活!!朝活@NGO

 

蜜蜂と遠雷 (幻冬舎単行本)

蜜蜂と遠雷 (幻冬舎単行本)

 

  今朝は本屋大賞直木賞のダブル受賞という快挙を遂げた話題作『蜜蜂と遠雷』(恩田陸)が課題でした。
 3年に一度開催されている浜松国際ピアノコンクールをモデルに、予選から本選までの出場者、審査員、調律師や取材や観客なども含めたピアノコンテストを描いた小説です。

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管理人の読書メモ

「世界で百人しか演奏してないような楽器で一番になったって面白くないじゃない? これだけの広い裾野があって、みんなが自分も素晴らしい音楽を作り出したい、もっと上手になりたい、ってもがき苦しんで自分の音楽を追求してるからこそ、てっぺんにいる一握りの光を浴びてる音楽家の素晴らしさが余計際立つ。挫折していった多くの音楽家たちが陰に累々といるのを知ってるから、ますます音楽は美しい」

 

よく言われることだが、審査員は審査するほうでありながら、審査されている。審査することによって、その人の音楽性や音楽に対する姿勢を露呈してしまうのだ。

 

プロとアマの音の違いは、そこに含まれる情報量の差だ。  
一音一音にぎっしりと哲学や世界観のようなものが詰めこまれ、なおかつみずみずしい。それらは固まっているのではなく、常に音の水面下ではマグマのように熱く流動的な想念が鼓動している。音楽それ自体が有機体のように「生きて」いる

何かが上達する時というのは階段状だ。ゆるやかに坂を上るように上達する、というのは有り得ない。

「・・だけど、そもそも我々は何かを殺生しなくては生きていけないという矛盾した存在なんだ。我々の生存の基本となる、食べること自体がそうだろう。食べるという行為の楽しさは、罪深さと紙一重だ。僕は、野活けをする時に、いつも後ろめたさや罪深さを感じているよ。だから、活けた一瞬を最上のものにするよう努力している」

限られた生を授かった動物が、永遠を生み出すことの驚異。
音楽という、その場限りで儚い一過性のものを通して、我々は永遠に触れているのだと思わずにはいられない。
そう思わせてくれるのは、本物の演奏家だけであり、今目の前にいるのは紛れもない本物の演奏家なのだ。

 

音楽には歴史としがらみもあるけれど、同時に常に更新されるべき新しさも内包している。それは自分で見つけていけばいい。誰におもねることなく、考えていけばいい。そして、自分の指で実践していけばいいのだ。

 

音楽。それはたぶん、人間を他の生物とは異なる、霊的な存在に進化させるために人間と一緒に生まれ落ちてきて、一緒に進化してきたのだ。

 

 感想など

 登場人物それぞれが、人並み外れた天賦の「ギフト(才能)」を持ちながら、「家にピアノがない」「遅い時期に始めた」「コンサートから逃げた過去がある」「仕事で練習時間が取らない」などの制約もあって、そのあたりをバックグランドから丁寧に描いた作品です。

  タイトルの「蜜蜂」はコンテストに挑む一人、風間塵が小さい頃から聞いた「蜜蜂の羽音」にちなむもの。「遠雷」は、直接は出てきません(?)が、恐らくこちらの場面が由来かと。

塵は空を見上げる。
風はなく、雨は静かに降り注いでいた。
遠いところで、低く雷が鳴っている。
冬の雷。何かが胸の奥で泡立つ感じがした。
稲光は見えない。

 「蜜蜂王子」風間塵が「音楽を連れ出せ」という恩師ホフマンの言葉の意味を考えながらさまようこのシーン、彼にとって、その稲光も見えない「遠雷」とは何だったんでしょう。

 2018年は、浜松で3年に1度のコンテストが開催されます。本書を読むと、実際に聴きに行きたくなりました。

 

 今朝は本書のコンテストで演奏される曲を収録したCDを持参していただきました。なんと8枚組!

 

『蜜蜂と遠雷』ピアノ全集[完全盤](8CD)

『蜜蜂と遠雷』ピアノ全集[完全盤](8CD)