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【開催報告・伏見】朝食読書会『自由からの逃走』 (エーリッヒ・フロム) |名古屋で朝活!!朝活@NGO

 

自由からの逃走 新版

自由からの逃走 新版

 

今月の伏見は『自由からの逃走』(E.フロム)が課題でした。

本書はナチズムに傾いていくドイツ国民とそれを先導した独裁者の心理状態を詳細に説明し、人々に「なぜ」を明らかにしている点で非常に興味深い。あの狂気を生んだ悲劇の根源は、「自由」という人類に与えられた恩恵であった。その分析に触れるとき、読者は、本書が今もなお警鐘を鳴らし続けていることに気づくだろう。

自由であることの痛烈な孤独と責任の重さを受け止め、真に人間性の実現といえる自由を希求することなくしては、人類にとって望ましい社会は生まれない。フロムは問う。幸福を追求するために選んだ自由が果たして「本当の自由」といえるだろうか。「選ばされた自由」にごまかされてはいないか。気づかぬうちに他者に対する加害者となっている自分を許してはいないか。

(アマゾンより)

 

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管理人の読書メモ

他人や自然との原初的な一体性からぬけでるという意味で、人間が自由となればなるほど、そしてまたかれがますます「個人」となればなるほど、人間に残された道は、愛や生産的な仕事の自発性のなかで外界と結ばれるか、でなければ、自由や個人的自我の統一を破壊するような絆によって一種の安定性を求めるか、どちらかだということである。

 

カルヴァンの予定説には、ここではっきりと指摘しておくべき一つの意味が含まれている。というのは、予定説はもっともいきいきとした形で、ナチのイデオロギーのうちに復活したからである。すなわちそれは人間の根本的な不平等という原理である。

 

われわれは他人の期待に一致するように、深い注意を払っており、その期待にはずれることを非常に恐れているので、世論や常識の力はきわめて強力となるのである。

 

巨大な近代広告はこれとことなっている。それは理性にではなく感情に訴える。催眠術の暗示のように、その目的物をまず感情的に印象づけ、それから知的に説明する。

 

買い手にたいする広告の影響と同じように、政治宣伝の方法も、個々の選挙人の無意味感を助長している。スローガンをくりかえしたり、問題となっていることとはなんの関係もないことを強調することは、選挙人の批判力を麻痺させる。

 

権威はなくなったのではなく、むしろ目にみえなくなっただけである。あらわな権威のかわりに、匿名の権威が支配する。そのよそおいは、常識であり、科学であり、精神の健康であり、正常性であり、世論である。

 

事実、人間の決断という現象を観察すると、慣習や義務や単なる圧力にしたがっているのにすぎないことを、「みずからの」決断とみなしている誤りが、いかに広くおこなわれているかがわかる。

 

人間がこんにち苦しんでいるのは、貧困よりも、むしろかれが大きな機械の歯車、自動人形になってしまったという事実、彼の生活が空虚になりその意味を失ってしまったという事実である。

 
感想など

 1941年にフロムが本書を執筆した当時は、かれの故郷ドイツでナチスが政権を掌握していた時期。本書によって、歴史的に、あるいは個人の心理として、なぜ全体主義がドイツで成立したのかを理論的に説明しています。下層中産階級の経済的地位低下、無力感や不安、あるいは排他的、選民的な思想など、当時のドイツを取り巻く状況は、現代日本にも通じるところがあります。


 また、私たちは自分で思っているほど「自由に」思考して行動しているわけではないということに気づかされる一冊でもあります。

 

 「~からの自由」は逃避であり、自発的な「~への自由」こそが真の自由につながるという本書のテーマは、『愛するということ』に引きつがれます。こちらも名著、順に読むと理解がさらに深まります。

 

愛するということ

愛するということ