【開催報告・伏見】朝食読書会『金閣寺』(三島由紀夫) |名古屋で朝活!!朝活@NGO
1950年7月2日、「国宝・金閣寺焼失。放火犯人は寺の青年僧」という衝撃的なニュースが世人の耳目を驚かせた。この事件の陰に潜められた若い学僧の悩み――ハンディを背負った宿命の子の、生に消しがたい呪いと、それゆえに金閣の美の魔力に魂を奪われ、ついには幻想と心中するにいたった悲劇……。(文庫版より)
実際の事件に取材しつつ、極上のフィクションとして三島由紀夫の代表作のひとつに数えらる傑作。学生の頃に読んだことがある方も多いと思います。
管理人の読書メモ
戦乱と不安、多くの屍と夥しい血が、金閣の美を富ますのは自然であった。もともと金閣は不安が建てた建築、一人の将軍を中心にした多くの暗い心の持主が企てた建築だったのだ。
しかるに柏木は裏側から人生に達する暗い抜け道をはじめて教えてくれた友であった。それは一見破滅へつきすすむように見えながら、なお意外な術数に富み、卑劣さをそのまま勇気に変え、われわれが悪徳と呼んでいるものを純粋なエネルギーに還元する、一種の錬金術と呼んでもよかった。
「又もや私は人生から隔てられた!」と独言した。「又してもだ。金閣はどうして私を護ろうとする?頼みもしないのに、どうして私を人生から隔てようとする?・・・」
おしなべて生あるものは、金閣のような厳密な一回性を持っていなかった。人間は自然のもろもろの属性の一部を受けもち、かけがえのきく方法でそれを伝播し、繁殖するにすぎなかった。殺人が対象の一回性を滅ぼすためならば、殺人とは永遠の誤算である。
『金閣が焼けたら……、金閣が焼けたら、こいつらの世界は変貌し、生活の金科玉条はくつがえされ、列車時刻表は混乱し、こいつらの法律は無効になるだろう』
「世界を変貌させるのは決して認識なんかじゃない」と思わず私は、告白すれすれの危険を冒しながら言い返した。「世界を変貌させるのは行為なんだ。それだけしかない」
感想など
本書のように読者の数だけ解釈があるような本こそ、読書会は面白いですね。「なぜ実際の事件とは違う結末にしたのか」「金閣寺は何の象徴なのか」など、いろんな疑問が出て、その答えもさまざま。
「善」と「悪」、「美」と「醜」、「人」と「物質」、「生」と「死」など、対比されるような要素を持ちながら、それらが分かちがたく混じり合い、そして入れ替わるように変化するのも、この物語の深みにつながっています。
サイコパスのような異常性を感じる人、自意識とコンプレックスから逃れられなかった主人公に共感する人、人間の変態性を感じる人、時代の空気感を想像する人、三島の芸術論と読む人や、シリアスな中にユーモアを覚える人。感想を聞けば聞くほど、新しい視点に気づく面白みを味わえる時間でした。
参加いただいた皆さん、ありがとうございます。
来月の伏見は7月10日(月)、課題はニーチェ『善悪の彼岸』です。 出版社はどこでもOK。読みやすいのはこちらの新訳かも。