【開催報告】『中空構造日本の深層』(河合隼雄) |名古屋で朝活!!朝活@NGO
今朝の課題は『中空構造日本の深層』(河合隼雄)が課題でした。ユング派心理学者の河合隼雄の1976年~81年に雑誌などに発表した12編の論考をまとめたもの。
心理学という枠にとらわれず、日本人の特性や深層心理、神話から昔話、漫画まで幅広いテーマを扱った社会学的な内容です。
管理人の読書メモ
P.12 科学の知が専制を誇るとき、人間は極めて能率よく進歩と繁栄を目指して「生かされ」ながら、同時に「生きる」ことに関する強い不安を感じざるを得ないと思われる。
P.25 神はその領地の中に「暗黒」という、魂の自由を許す場所を含めていたが、コンピューターによる管理は、すべてを白日のもとに曝してしまうのである。
P.56 『文藝春秋』誌上で、森嶋通夫氏と関嘉彦氏が戦争についての興味深い論争を行ったが、森嶋氏は、その論文の冒頭に、「日本では通常『国民的合意』は軽率に、しかも驚くべき速さで形成される。その上、いったん『合意』が出来てしまうと、異説を主張することは非常に難しいという国柄である」と指摘している。
P.56 わが国は心理的には母性優位の国であり、欧米の父性優位性と対照的であると言うことである。個人の個性や自己主張を重要視するよりは、全体としての場の調和や平衡状態の維持のほうを重要視するのが、日本人の態度なのである。
P.61 その中空性が文字通りの虚、あるいは無として作用するときは、極めて危険であるという事実である。たとえば、最近、敦賀の原子力発電所における事故にまつわるその無責任体制が明らかにされたことなどは、その典型例であると言えるだろう。最も近代的な組織の運営において、欧米諸国から見ればまったく不可解としか思えないような、統合性のない、誰が中心において責任を有しているのかが不明確な体制がとられていたのである。
P.85 無意識に対するユングの態度の特徴は、フロイトのように、それを抑圧されたものとして否定的に見るのみでなく、創造の源泉としての肯定的な面をも認めることであろう。
P.123 私という人間が他ならぬ私として存在するという確信をもつこと、言い換えると、私という人間が生きてゆく「意味」を見出すこと、これについては自然科学は解答を与えてくれず、各人は各人にふさわしい方法で、それを見いださねばならない。
P.210 個々の家庭はその家なりの強い規範をもつのではなく、両親は子供に対して「人様に笑われないような」、つまり、社会一般の通念に合う人になるように教育をほどこすのである。
P.225 人間の行為は多くの場合、二面的である。あらゆる美徳はその影の面をもっている。秩序も希望も、もちろん素晴らしいものであることは言うまでもない。しかし、その影の面に対する自覚を持たぬとき、それらはしばしば「善の名において悪を行う」ための標識になり下がってしまうのである。
感想など
タイトルの『中空構造日本の深層』というのは、この本のテーマである日本社会の「リーダー不在(不要)」「母性社会におけるバランス重視」「世論が一気に形成される様子」などを的確に表現しているように思います。
かつてある首相が選ばれた時に「担ぐ神輿(みこし)は軽くてパーがいい」と発言した政治家がいましたが、昨今の選挙や企業の不祥事への対応をみても、あまり変わっていないのではないでしょうか。
ただ、西洋的な価値観からすれば、その「責任不在」「曖昧さ」は不合理、非論理的で分かりにくいものですが、案外日本社会の強さ、しなやかさはその辺りにあるような気もします。
『古事記』における「その後、全く登場しない神様の存在」も、一見無駄なようにも思えますが、そういった活躍しない神様の存在こそ豊かな社会を形成する要因かとも思えますがいかがでしょうか。