【開催報告】『異界を旅する能 ワキという存在』 安田登|名古屋で朝活!!朝活@NGO
3月の藤が丘での朝食読書会は『異界を旅する能 ワキという存在』(安田登)が課題でした。歌舞伎、狂言などの古典芸能の中でも比較的分かりにくい能。その能の魅力を「ワキ」の立場から語る一冊です。
管理人の読書メモ
P.30 トラウマも意識化されたときになくなるというのは精神分析の考え方だが、ワキのすることもシテの思いを無意識の暗闇から意識の明るみに引き出すのだから、それに似ていると言える。
P.53 私たちは残念ながら幽霊と出会うことができない。だから、幽霊と出会うことができるワキに自己を投影する祝祭劇である能を観ることによって、それを疑似体験するのだろう。
P.56 なぜ人にとって異界と出会うことが必要なのだろうか。
それは異界と出会うことによって「神話的時間」を体験し、そして人生をもう一度「リセット」できる可能性を感じるからではないだろうか。P.65 日本人の伝統は、形ではなく、むしろその精神性、あるいはその象徴を伝えるという伝統だ。
P.79 ワキは何かをアドバイスすることもなく、ただ問うことによって、残恨の思いを晴らし、そして成仏を助ける。
P.82 ワキは旅をすることによって、異界と出会う。
P.113 さらに言えば、能のワキである聖なる旅人は、自分は無力であり、そして欠落している人間だということをただ感じているのではなく、深く身に沁みている人間だ。むろん名などはとうに捨てた、無名の旅人だ。
P.225 乞食としての生活形態こそ「侘び」の極みだ。乞食宗旦と呼ばれた千宗旦のように、侘びをその美とする茶も乞食としての生活形態を本来は要求した。
P.230 「燦爛たる彩光は、炳乎として昔から現象世界に実在している」
日常世界の中に、それを見るのが非人情の旅だ。
感想など
読書会では
・舞台の上での「見者=見る者」としてのワキの役割に共感するところがあった。
・ワキとシテ、陰と陽など、能の舞台での対比が面白い。
・台湾の学生が語る「自分を見つめる」「孤独と向き合う」などのエピソードが印象的。
・「リセット」が日本人、日本文化の特徴というあたりに発見があった。
・「思い出す」「思い切る」の説明が心に残った。
・『日本文化における時間と空間』(加藤周一)を思い出した。
・『山の人生』(柳田邦男)で紹介されていた「逃げる場所」「居場所」みたいなものを連想させて、現代の日本ではなくなってきているように感じた。
・ここで説明される「旅」が、自己の妄執と向き合うような、象徴的な時間や場所のことだと思われた。
芭蕉や漱石の文学論とも合わせて能を語って、最後は「非人情の旅の仕方」に行き着く本書は、能をしっかりと観た経験がなくても日本人論、日本文化論として楽しめると思いました。 能を観たことのある方でも、能の本来持っている「癒しの力」「辛い経験をリセットする力」など、新しい魅力に気付けます。何より、いわゆる教科書的な入門書や解説書とは違って、活き活きとした文章に引き込まれます。
能は名古屋や周辺でも定期的に公演があります。ぜひ能楽堂へ。
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